カレーライスは福神漬がなくても人気だけど、福神漬はカレーライスのおかげで人気になっているはず

考えてるゾウ

なんか真面目にしっかり考えるってバカみたいだよね。基本的には報われないし、周囲には考えすぎだって言われるし。僕はまあ真面目に物事を考えるし、些細なことを気にするし、割と精神世界を生きている時間の方が長い気がする。世の中の多くの人はある程度真面目に考えてるけど、ある一定のところで現実に帰っちゃう気がする。「それは考えすぎだよ」とか「まあ、そんなこと言ってもしょうがないじゃん」とかね。

この感情は、お正月に親族が集まって楽しく百人一首とかしてたのに、気づいたらみんないなくなった時の気持ちに近い。「あれ、もう帰っちゃうの?」みたいなね。

なんでこんな事を思うかって言うと、まあ今やってる就職活動が性に合わなくて苦戦しているからなんだけど。

グループディスカッションなんて苦手そのものだ。30分で答えが出るはずもないお題(本当のお題は口外できないから仮に、どんなカレーライスが30年後人気か、としよう)を出されて、出せる答えはせいぜいこの二つだ。みんなの理想を詰め込んだだけの「ハンバーグ乗せ牛丼カレー定食・パフェ付き!」。もしくは、革新さも何も無い既存のサービスに落ち着いた THE 普通の「カレーライス・福神漬け付き」。カレーライスに福神漬けって全然新しいアイデアじゃないんだよなあ、みたいなね。

僕は答えが出るはずもないお題に真剣に向き合っているから、いわゆる「いい感じ」の解答は出せないわけだ。自分の世界で瞑想(迷走)しているというか。ここに関しては就活における「技術」的なことを覚える必要があるんだろうな。そういうの嫌いだから、とか言ってられないのが悲しい現実だ。

エントリーシートにしたってそうだ。「他者と協力して何かを成し遂げた経験は?」とか「困難にぶつかってそれをどう乗り越えたか」とかそういった質問は正直好きじゃない。該当する経験があったからといってそれを意気揚々と語りたくはない。大抵の成功は「偶然パズルのピースがはまってうまくいったから」に過ぎないし、「偶然才能があったから」に過ぎないのだ。上手く事が運んだ経験を、それをあたかも全て自分の手柄のように描写するというのはこの上なく気持ち悪い。

人間誰しも向き不向きがあるわけで。すなわち自分に「向いている」分野だったら、ある程度努力できるし結果を残せる、というのが紛れもない事実だと思う。

例えば「常識を疑わずに努力する」ことが向いている人がいたとする。この人は社会的にそれなりに成功すると思う。でもこの人が自分の「才能」に気づくことはあんまり無いし、それどころか「成功のために重要なのは、才能ではなく努力です。」なんて語ったりする。「自分の才能」と「社会の潮流」が噛み合っただけなのにそれを自分の手柄にする訳だ。こういうのは耐えられない。

「自分が価値を感じること・才能があること」「社会が大事にしていること」が噛み合えばうまくいく。まあいわゆる、「運」だね。

ほんとうにその人の本質が問われるのはそれが噛み合わない時だ。

例えば仮に、自分の信念を曲げて「社会が大事にしていること」に合わせて生きることを選ぶとしよう。でも長期的に見てそれが幸せをもたらすかどうかは分からないし、不幸になったとしたって肝心の社会は責任をとっちゃくれない。少なくとも自分は「価値を感じないこと」をやっているわけだから、幸せになれる確率は低いのかもしれない。

だからと言って、「自分が価値を感じるもの」を貫き続けるってのも大変だ。いくら努力しようが、社会はそれを評価しちゃくれないし、金銭的にも厳しくなる。周りから評価されずともそんなことは気にも留めず、我が道を歩み続けることができる人間がどれほどいるだろうか。

大事なのはその塩梅(どこで自分の信念を守ってどこで社会に迎合するか)なんだろうけど、そこがうまく出来るほど器用な人間だったらこんなことで悩んじゃいない。

そもそもこんなことを考えずに素直に行動したらいい話である。行動していないから愚痴や文句を言いたくなるのだ。という批判は尤もだし、僕は自分自身を批判的に捉える人間だから、いつも自分自身にそういう批判をされている。さらにこうやって批判に批判を重ねて、勝手に議論を自己完結してしまっているところも自分の良くないところだ。

まあ、そんなこと言ったってしょうがないじゃん、考えすぎだよ!

(内容があんまりにもキャッチーじゃないから、せめてタイトルだけでも。ね。)

今日の音楽!

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ - サンボマスター

こうやって一人で考え事してると、生きるのがめんどくさくなってくる時がある。そういう心が弱くなった時にはこういう真っすぐな愛が必要だ。とりあえず叫ぶのだ。愛と平和!!!!

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