Chat GPT帝国と安全な猿達(2030年公開予定(ではない))

考えてるゾウ

今話題のサービスといえばChat GPTだ(2023年5月執筆)。質問をしたらそれに答えてくれるというシンプルで革新的なAIサービスだ。

来週末の彼女とのデート先をどこにしたらいいか聞いたっていいし、就職活動のエントリーシートを修正してもらったっていい。プログラミングはもちろん、なんなら小説や詩だって書けるらしい。この上なく便利だ。

こういう便利で革新的なサービスが出ると、同時に批判的な意見も出てくる。「人間の仕事を奪うんじゃないか」とか「思考力が落ちるんじゃないか」とか。

なんだか産業革命が起きた時のラダイト運動と似ているね。

でもこの批判の正当性っていうのは、「どこを人類のゴールにするか」によって変わってくると思う。これらの批判に対して、「人間の仕事を奪うことはない」とか「思考力は落ちない」とかいう反論の仕方もあるんだろうけど、「それは未来が実際に来ないと分からない」ってのが正直なところだろう。スマートフォンの普及がルッキズムを加速させるなんて誰が予想できただろうか。その因果関係は複雑で、一般人が議論できる領域を超えてしまっていると思う。

でも人類の目指すべき方向性については、議論の余地が残されていると思う。今回の議論に当てはめると、「人間の仕事が奪われてしまったらダメなのか」「思考力が落ちたらダメなんだろうか」という疑問が生まれるわけだ。

例えば、人類の目指す方向が「安全な猿」だとしたら。仕事も思考も必要なく、そういった仕事は外部(AI)に委託して、自分達は安全な環境で義務や責任もなく生きつつ遺伝子を残し続けることが「理想」だとしたら。そう考えると、Chat GPTの登場は、我々が「理想」を達成するための順調な一歩に見える。

『Chat GPT帝国と安全な猿達』の完成だ。

でもこの構図はなんとなく「人間」と「鶏」の関係に似ている気がする。鶏は遺伝子を後世に残すという点において大成功しているが、身動きの取れない狭い檻に入れられた彼らが本当に幸せなのかは疑問がある。鶏が人間を利用しているのか、人間が鶏を利用しているのか。

そうなると、人類のゴールを「遺伝子の存続」に絞るのは早計だろう。そして人類のゴールをしっかりと定めるためには、僕たちにとって「幸せ」が何かを考えることが必要になりそうだ。

「幸せ」の定義が人それぞれなのは当たり前だけど、だからと言って、「人それぞれだから」って片付けるのも危ないと思う。自分達の「理想」が曖昧な状態で進み続ける「人類全体」という大きな生命体は、果たして本当に理想に辿り着けるのだろうか。運よく理想を達成する可能性もあるけど、気付かぬうちに破滅に向かっている可能性も十分にある。

技術発展が僕らの想像を超えるスピードで進む中、僕らはもう一度、「幸せとは何か」という哲学的・宗教的な問題について考える必要があるんじゃないかな。

かの有名な物理学者はこう残している。

宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である。

Science without religion is lame, religion without science is blind.

– Albert Einstein(アインシュタイン)

https://newrepublic.com/article/115821/einsteins-famous-quote-science-religion-didnt-mean-taught

(まあこの引用元を読むと、アインシュタインのこの言葉の真意の程はよくわかんないんだけどね。)

(ちなみに猿を貶めるつもりもないし、猿はそもそも人間の祖先じゃないし。まあ言いたいことは文脈から察してほしい。ネット世界だから一応こういう保険をかけておくよ。)

今日の音楽!

Suchmos - Miree

Suchmosの曲は深夜のドライブなんかにはうってつけだ。田舎道ってよりはやっぱり首都高が似合う気がする。SuchmosをきっかけにJamiroquaiとかにも出会えたわけだから、その点においても感謝している。もちろんこの曲を選んだ理由は、「SOS 猿の惑星 そう 結果 we are ape」ってフレーズに決まっている。このフレーズ、偶然にも今回のブログの内容にぴったりでしょ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました