太郎くんとタナカさん

考えてるゾウ

僕は幼い頃から「実務的」なことが大の苦手だ。

提出物は出せないし、授業中は寝ているし。提出物を出さなきゃいけないことは分かっているんだけど、どうしたってやる気が出ない。一人暮らしを始めてからも、水道料金の支払いが遅れて水道は止まるし、バイト先の上司に口答えをするからバイトも続かない。

なんというか、、すごく生きづらい。「実務的」なことをやらないと、「本当にやりたいこと」をする機会すら逃してしまうのは分かっているんだけど、どうにもその「実務的」なことの部分で躓いてしまう。

原因は僕が精神世界を生きていることなんだろう、と思う。そういう「実務」に価値を感じていないというか。物質的・経済的に豊かじゃなくても、自分の好きな人たちと笑って過ごせればいいや、みたいなね。

まあそうは言っても、僕という肉体は現実を生きている以上、最低限の義務や責任が発生する。それに「たかだか」実務的なことのせいで「本当にやりたいこと」の機会は逃したくない。

だから僕は、自分の中に「精神世界を生きる自分」と「現実世界を生きる自分」をはっきり分けて用意することにした。

このままだと長いから便宜上、精神世界の僕を太朗くん、現実世界の僕をタナカさんと呼ぶことにしよう。これが合わさって、田中太郎(仮)になる。

太郎くん一人じゃ現実世界を生きるのは難しい。お金だとか愛想だとかそういった「実務的」なことに興味がないから全くもって苦手なわけだ。期日は守れないし上司との兼ね合いも上手くいかない。

今までは両親や学校の先生が守ってくれたから、太郎くんも何とか生きてこれた。太郎くんは周りの人たちに恵まれていたのだ。だけど社会に出て、そうやって無償の愛をもってして庇護してくれる人はもういなくなってしまった。

だからこれからは、そういった現実的なことから太郎くんを守ってくれる人が僕自身の中に必要なわけで。

それがタナカさん、というわけだ。

タナカさんだって別に「実務的」なことが好きなわけじゃないけど、彼は大人だし、そういったことをそれなりにうまくこなすことができる。タナカさんは太郎くんのことを多少めんどくさいと思いつつも気に入っているから、太郎くんを守るためにある程度頑張ってくれる。

あいにく僕の中の太郎くんはいまだに健康体で長生きしそうだし、だからといって太郎くんを一人で放っておくわけにもいかないから、タナカさんを定期的に呼び出す必要があるということだ。

こうやって僕は、精神世界の自分と現実世界の自分をはっきりと区別して考えることによって、とりあえずは少しだけ現実世界を生きやすくなった。

他の人がどうかはわからない。太郎くんはとっくのとうに死んでしまって今はタナカさんしかいない人もいるだろうし、太郎くん一人でなんとかやっている人もいるだろう。

そもそもこんなことを考えずに、そのまま田中太郎として上手に生きていける人もいるかもしれない。

少なくとも僕の場合、太郎くんがうまく生きていくためにタナカさんが必要だったという話だ。なんだかこれは健全な状態ではない気もするし、今後も彼とずっと上手くやっていけるかはわからない。

とりあえず、しばらくの間は彼と生活してみて様子を見てみようと思う。

(この文章は太郎くんによって書かれました。)

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